オワ丸(24歳精神障害者のブログ) ※更新していきます!

かなり月日が経ちましたがまた記事を書くかもしれません。

僕の今までの人生 地獄の学生時代編 (高校中退まで)

これから僕が生まれてから高校中退までの人生を書こうと思います。
《誕生から小学校卒業まで》僕は一人っ子として1999年にごく普通の一般家庭の家に生まれました。今でもですが父と母は優しく『勉強しなさい‼️』とか『しっかり部活に励めよ!!』とかの類いの煩わしく感じる言葉は言わない両親でした。保育所の時の記憶は残念ながら残ってませんが、幼稚園の時から一貫して自分は『人見知り』であると今から考えれば感じていたと思います。小学校に入る前に親しい友人ができそのお陰で小学校はまずまず行けていたと思います。ですが、その頃から高校生になるまで自分にはなりたい目標がありませんでした。小学生でいえば「サッカー選手になりたい」とか「野球選手になりたい」等の夢です。小学校5~6年生の間では友達と遊ぶ時によく仲間外れや馬鹿にされていて、学校での居心地も良くなかったです。そういうこともあり小学校の卒業式では同級生と一緒に写真を撮るようなこともなく両親に付き添われ家に帰りました。

《中学校から中学卒業まで》親友と呼べる人もおらず、かといって中学進学したい訳でもない僕はそのまま地元の公立中学校に進学します。最初の内は他の小学校からもその中学校に進学してくる人もおり不安からか同じ小学校の同級生が一緒に登校してくれることもありましたが、それも皆中学校に馴染んでいくにつれてなくなりました。その中学校に進学した内の6割が僕の小学校の同級生でその時点で僕は『もう終わったな』とおもいました。新しく友達を作ろうにも『ネクラ』、『コミュ障』である小学生時代の自分を知っている人が6割もいれば『中学デビュー』等という自分を変化させることは難しいと悟ったからです。優しく接してくれる同級生もいましたが、僕は学校では緊張しいですぐに顔が強張るので上手くコミュニケーションをとることが出来ませんでした。それに他人を警戒しているのが動作に出ていたのか次第に同級生は話しかけてくれなくなりました(当たり前)。『学校は人間関係が全てです。』友達が一人もいなければ学校に行く意義を見出しずらいし、部活や学校活動にも消極的になります。ちなみに、授業も「何のために受けているんだろう?」という気持ちになっていました。部活は最初、人数が少ない運動部に所属していたのですが、中々上達せず嫌気が差して退部してしまいました。そんなダメダメで帰宅部の僕でもほぼ毎日学校には通ってました。休み時間は人と会話をせず読書しかしていませんでした。今(21歳)になって振り返ってみると当たり前ですが、読書なんかより部活やそこでの人間関係に全力を注いだほうがよっぽど良いと感じています(後悔してます)。そんなこんなで嫌な中学生活が終わりにさしかかったころ、同級生達は公立の地元の高校を目指しているので僕は思いきって自分の事を誰も知らない高校に通おうと県外の高校に進学することを決めます。ですが、その高校も約半年で中退することになります。

《高校入学から高校中退まで》
「誰も自分を知らない所では自分も高校生活を上手く送ることができるはずだ」そんな安直な考え方を持っていました。最初の2~3ヶ月はまあまあ上手く周囲とやれていたと思います。ですが、あることがきっかけで僕はイジメに近い嫌がらせを受けるようになります。それはクラスの同級生Aが女子をバカにした発言をしたことが発端でした。そのAは高校受験に失敗したらしく来たくもない高校に来たと言っていました。僕にとってはそんな事どうでもよかったのです。ただ誰も僕を知らない高校なら上手くやれると思っていたのですから。Aは事あるごとに同じクラスの女子が可愛くないとかブスだという発言を言っていました。それを聞いて僕はすごく不快になったし、そんな事僕に言わずに直接言えばいいのにと思ってました。そんな発言を繰り返す内にAのその発言がクラス全体に広まりAは嫌われるよう
になりました。嫌がらせも受けていました。その嫌がらせも徐々にエスカレートしていってある時Aが僕に言いました。「LINEで俺の事擁護してくれるようなコメしてくれない?一言でいいから」僕は中学時代にスマホを持っておらず、高校の入学祝いに両親がプレゼントしてくれました。そのスマホを使ってクラスのグループLINEでAを擁護したことが一番の失敗でした。「もうこういう事(嫌がらせ)止めた方がいいんじゃないかな?」そういう文言を打ち込んだと思います。するとグループLINEで同級生達が一気に非難してきました。それならまだ分かります。だけど擁護してくれと言ってきたAは「こいつ頭おかしいんじゃね?」と僕が次の標的となるよう仕向けてきたのです。これには僕は絶望しました。翌日Aにその事を言ったのですがAは我関せずといったカンジで僕の質問を飄々と受け流していました。その後クラスでのAに対する嫌がらせをクラスの女子生徒が担任の教師に告発し、その後Aは嫌がらせを受けなくなりました。そこから僕の地獄は始まったのです。Aを擁護した僕をクラスの皆が気に入ってなかったんだとおもいます。やられた嫌がらせとしてケツを蹴られる(軽いミドルキック)、自分の机のイスをびちゃびちゃに濡らされる、カタパン、ハラパン、授業の邪魔をされる等でした。あまりにも精神的にきつく『このまま教室から飛び降りたら自殺できるかな』と考えてしまいました。また、高校生にもなってこんな幼稚なことをする人間がいることにも絶望しました。この事を教師に相談したところ『お前が家族に甘えているからこんな嫌がらせを受けるんだろ!!親に車で送迎してもらったりして自分に甘いだろ!!、だからBやCにされるんじゃないのか?』実際僕は自宅から学校が遠いところにあり、母に何度も送ってもらったこともありました。でも、僕のなかで送ってもらうことと嫌がらせを受けることはまったく違うようにおもいました。そしてこの教師にも失望しました。また、新しく入った運動部の部活でも同級生との人間関係にストレスが溜まりもう僕は壊れてしまいました。『学校も部活動ももうすべてがどうでもいい』そう思って二度とその高校にはいかないだろうなとおもいました。

ここから先もなんとかまだあるのですが、書くのはまた今度にさせて下さい。 読んでくださった方ありがとうございましたm(__)mm(__)m